- 藝大工芸科
- 1 日前
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私が東京藝術大学美術学部工芸科に入学した当時、日本の美術系大学にはガラスを学べる機関はほとんどありませんでしたが、1960年代からアメリカ合衆国ではスタジオガラス運動が続いており、その影響を受けて日本でも個人でガラス溶解炉を作って制作と発表をしたり、企業内デザイナーや、職人たちによる個人的な作品制作が行われ始めていました。
そのような中で私たちは、藝大でも有志の先輩方々が始めていたガラス同好会を、クラブ活動として本格的に始動しました。参加していた学生は、工芸科のみならず、美術学部の色々な専攻の学生がいましたが、クラブ活動を通してガラス工場を見学に行ったり、個人作家の工房を訪ねたりしながら情報を集め、当時の陶芸講座の窯場の一角を借りて、自分たちでガラスの溶解炉を作ってガラスを溶かしたりしていました。
その様な活動が、私にとってのガラスとの出会いでしたがその後、私は鋳金を専攻して修士課程まで学び1984年に修了後、アメリカのシアトルにあるピルチャックガラススクールにガラスの勉強のため渡米し、戻ってからは岩田工芸ガラス株式会社にお世話になりました。
ピルチャックスクールでの自由なスタジオガラス運動の空気を感じ、日本に帰ってからの岩田工芸ガラスでは、製造の現場に入り、近代以降の日本のガラス美術と工場で行われるガラス製造の工程を学ぶことができました。岩田工芸ガラスでは、16年間ほど働かせてもらいフリーの作家として活動をしている時に、藝大でガラス造形講座がスタートすると聞き、是非参加したいと手を挙げました。そして、2003年から創設者である林亘先生の助手としてお手伝いすることになりました。
それから取手校地にガラス工房の設備が少しずつ形作られ、工芸科基礎の課題、共通工房と同じ様に素材実習の授業をスタートすることができ、最後にガラスの溶解炉の完成に合わせるように、大学院研究科修士課程として研究室が開設されました。それからあっという間に20年近くが経ちました。
日本の工芸においてガラスを扱う分野は、産業としては近代からだと言えます。古くて新しい素材とも言えます。そのガラスを藝大の中で、造形分野としてのスタートに携われたことは、私にとって大変名誉なことであり喜びでした。これからもガラス造形研究室、工房が、色々な学生たちにとってガラスとの魅力的な出会いの場として、引き続き輝き続けてくれることを願っています。
藤原信幸
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